チェスの歴代世界チャンピオン一覧と世界選手権の試合を過去16試合を紹介

本記事では、チェスの歴代世界チャンピオンを一覧で紹介します。
また、世界チャンピオンになった彼らの試合を一緒に見ていくことを目的とした記事です。
チェスの歴代世界チャンピオン
まず、チェスの歴代世界チャンピオンを以下にまとめます。
- ヴィルヘルム・シュタイニッツ (1886-1894)
- エマーヌエール・ラスカー(1894-1921)
- ホセ・ラウル・カパブランカ (1921-1927)
- アレクサンドル・アレヒン (1927-1935, 1937-1946)
- マックス・エーワ (1935-1937)
- ミハイル・ボトヴィニク (1948-1957, 1958-1960, 1961-1963)
- ワシリー・スミスロフ (1957-1958)
- ミハイル・タリ (1960-1961)
- チグラン・ペトロシアン (1963-1969)
- ボリス・スパスキー (1969-1972)
- ボビー・フィッシャー (1972-1975)
- アナトリー・カルポフ (1975-1985)
- ガルリ・カスパロフ (1985-1993)
- ウラジーミル・クラムニク (2000-2007)
- ヴィスワナータン・アーナンド (2007-2013)
- マグヌス・カールセン (2013-現在)
それでは、歴代世界チャンピオンがプレイした試合を順番にご紹介していきます。
ヴィルヘルム・シュタイニッツ (1886-1894)
持ち時間の制限があるチェスの世界選手権が初めて行われたのは1886年です。
その初開催のチェス世界選手権で優勝したのがヴィルヘルム・シュタイニッツ氏です。
彼は1894年にラスカーに敗れるまでの8年間は、チェスの世界チャンピオンでした。
そんな彼が1886年にプレイした試合を見ていきましょう。
白番が世界チャンピオンに輝いたシュタイニッツ。
黒番がイギリスとドイツで活躍するチェスの名手、ツッケルトルトです。
この試合は黒番が降参にしたことによって終わりました。
黒番が降参した局面は、a2のビショップでf7のポーンを取れば1手でチェックメイトです。
また、どんなに粘っても3手でチェックメイトのため、黒番のヨハネス・ツッケルトルトが降参しました。
1886年以前にも、「FIDE非公認」のチェスの世界チャンピオンが存在します。これは試合に持ち時間がなかったため、非公認とされています。一方で、1886年以降からは試合に持ち時間があったため、1924年にFIDEが後から世界チャンピオンとして公認しています。
エマーヌエール・ラスカー(1894-1921)
初代チェス世界チャンピオンを破り、27年間チェス世界チャンピオンの座にいたのがエマーヌエール・ラスカーです。
彼は、相手のプレイスタイルや傾向を研究し、その情報を戦術的に利用することが得意でした。
さて、1894年に初代世界チャンピオンのヴィルヘルム・シュタイニッツとエマーヌエール・ラスカーが対戦した試合を見ていきましょう。
白番がラスカー、黒番がシュタイニッツです。
序盤・中盤はどちらも正確にプレーしていますが、終盤戦でラスカーが一歩勝っています。
最終局面では、白のbポーンのプロモーションを止める術が黒番にはありません。
また、黒のgポーンはc5のビショップに狙われているため、プロモーションしたくてもできない状況にあります。
そのため、黒番のシュタイニッツが降参し、ラスカー氏の勝利となった試合でした。
ホセ・ラウル・カパブランカ (1921-1927)
キューバの外交官でありながら、チェスの世界チャンピオンになった男がホセ・ラウル・カパブランカです。
逸話として、チェスの2代目世界チャンピオンのラスカーから「チェスの強い人はたくさん知っているが、チェスの天才は彼ひとり(カパブランカ)だけ」と評されました。
それでは、ラスカーとカパブランカの対局を見ていきましょう。
白番がラスカー、黒番がカパブランカです。
序盤はお互いにミスのない手を指します。
しかし、白番ラスカーの29手目であるKh2という手は問題があります。
この後、ナイトでチェックされてから、フォークによってルークとナイトを交換することになります。
この1手が決定打となり、ラスカーは終盤戦が厳しい展開を迎え、最終的には降参しました。
アレクサンドル・アレヒン (1927-1935, 1937-1946)
アレクサンドル・アヒレンは、ロシアのチェスプレイヤーであり、1927年にチェスの世界チャンピオンになりました。
ただ、1935年にマックス・エーワというオランダの数学者に敗北し、世界チャンピオンの座から一度転落しています。
しかし、1937年のリベンジマッチでは見事勝利し、再び世界チャンピオンの座に返り咲いた経歴を持っています。
そんな彼の試合を一緒に見ていきましょう。
白番がアヒレン、黒番がカパブランカです。
序盤・中盤はお互いにミスがなく、駒交換によってどんどんと終盤戦に進んでいきます。
終盤になるにつれて、徐々にアヒレンが優勢になります。
そして、ポーンが1つ多い状態で、ポーンを突き合うことになった白番が勝利を掴むことになります。
最終的には、黒番のカパブランカが降参し決着しました。
カパブランカが降参した局面は、ポーンを早くプロモーションできる白番のアヒレンのほうが有利な局面です。
マックス・エーワ (1935-1937)
繰り返しになりますが、マックス・エーワはオランダの数学者です。
つまり、本業はチェス選手ではなく、数学の研究なのです。
しかし、1935年には当時世界チャンピオンだったアレクサンドル・アヒレンに勝利しました。
ちなみに、1970年国際チェス連盟の会長に就任した経歴もあります。
そんな彼の試合を一緒に見ていきましょう。
白番がエーワ、黒番がアヒレンです。
この試合は、黒番がクイーン交換を拒否したことをきっかけに、黒番が不利な状況に陥ってしまっています。
黒は9手目にQe8と指して、クイーン交換を拒否しました。
しかし、これをきっかけに駒損し、クイーンを活かしづらいマスに置くことになります。
その結果、早い段階で白番優勢となり、逆転の機会がないまま黒番のアレヒンは降参しました。
ミハイル・ボトヴィニク (1948-1957, 1958-1960, 1961-1963)
ミハイル・ボトヴィニクは、ロシアのチェス選手であり、過去3回チェスの世界チャンピオンになっています。
なお、彼が1948年に優勝した世界選手権が「FIDE(国際チェス連盟)が初めて自分で開催したチェスの世界チャンピオン決定戦」になります。
彼はさまざまな形で、チェスに貢献した人物でもあります。
チェス選手を引退してからは、チェスの指導者として3人(カルポフ・カスパロフ・クラムニク)の世界チャンピオンを育てています。
また、電気工学者としての経験から、初期のチェス・コンピュータ・プログラムの開発にも貢献している凄い人物なのです。
そんな彼の試合を見ていきましょう。
白番はボトヴィニク、黒番はエーワです。
29手目に黒番エーワが指したBc6という手が悪手であり、黒番のエーワは降参する結末になりました。
このBc7という手は、白番31手目のディスカバードアタックによって、駒損することになるので悪手なのです。
ワシリー・スミスロフ (1957-1958)
終盤戦が強いことで知られているロシアの名手がワシリー・スミスロフです。
彼は、ボトヴィニクを6勝13引き分け3敗で破り、1957年に世界チャンピオンなっています。
たった1年しか世界チャンピオンの座にはいませんが、当時最強だったボトヴィニクと競い合った実力者です。
白番がスミスロフで、黒番がボトヴィニクです。
この試合は黒番のボトヴィニクが降参して終了しました。
しかし、降参しなければいけないほど絶望的な局面でもありません。
ただ、お互いにミスなく指し合った場合には、ポーンが1つ多い白番が順当に勝つ試合でしょう。
相手の実力を認めていて、「この後にミスするわけがない」という理由から降参したのでしょう。
ミハイル・タリ (1960-1961)
ミハイル・タリは、攻撃的なプレイスタイルのチェスプレイヤーです。
その攻撃的なプレイスタイルは即興性があり、予測不可能な指し手は多くの人を魅了しています。
ミハイル・タリは、ラトビアの首都リガで生まれたことから「リガの魔術師」という異名を持っていました。
そんな彼の試合を見ていきます。
白番がタリ、黒番が当時世界チャンピオンのボトヴィニクです。
序盤と中盤はお互いにミスをしません。
しかし、終盤戦になると、ポーンを早くプロモーションさせた白番のタリが優勢になります。
世界チャンピオンであっても、終盤戦の最善手を正確に指し続けることは困難です。
黒番のボトヴィニクのミスは、34手目のRxb3という手です。
この手はポーンをただで取れるので、物凄い悪い手というわけでもありません。
しかし、棋譜を解析してみると、Rxb3よりも先にKe5と指して、ナイトの形を悪くすることが先決だという結果がありました。
指し手の順番を1つ間違えるだけで、勝敗に大きく影響するのが終盤戦であり、チェスの面白いところですね。
チグラン・ペトロシアン (1963-1969)
1つ上で紹介している攻撃的なプレイスタイルのミハイル・タリ とは打って変わって、常に堅実なプレイで自分から攻めることが少ないのがチグラン・ペトロシアンです。
ボトヴィニクによれば、「ペトロシアンは安全だと感じたときにのみ攻撃し、彼の最大の強みは防御にある」と話しています。
彼は、ロシアのチェス雑誌『64』の編集者としてのキャリアもあったようです。
そんな彼の試合を見ていきます。
白番がペトロシアンで、黒番が何度も登場しているボトヴィニクです。
この試合をLichessで解析した結果、お互いが最後までミスのない手しか指していません。
白番のペトロシアンは、大悪手がないのはもちろん、悪手や緩手さえありません。
黒番のボトヴィニクは、大悪手と悪手がない代わりに緩手が4手だけあります。
その結果、白番のペトロシアンが大きく優勢になっています。
最終的には、ポーンの形が悪く、プロモーションに近いポーンもいないボトヴィニクが降参しました。
ボリス・スパスキー (1969-1972)
ボリス・スパスキーは、ソ連生まれのチェス世界チャンピオンです。
彼は1966年に初めて世界チャンピオンへの挑戦者となりました。
しかし、この時は当時のチグラン・ペトロシアンに敗れてしまいます。
1969年に2度目の挑戦で、チグラン・ペトロシアンに勝利し、世界チャンピオンとなりました。
そんな彼の試合を見ていきます。
白番がスパスキーで、黒番が何度も登場しているペトロシアンです。
この試合で、黒番のペトロシアンが降参した理由を考えてみてください。

うーん、ポーンの数は前から少ないよね…。



そう、つまり降参した局面では、明らかに黒番が不利な局面だよ。
それでは答え合わせです。
この局面、実は黒番が5手でチェックメイトされます。
黒番は「ナイトf5からクイーンg7によるチェックメイト」を防ぐ必要があります。
しかし、どんな手を指しても、5手でチェックメイトされてしまうのです。
そう、5手でチェックメイトされるため、黒番のペトロシアンは降参しました。
ペトロシアンの大きなミスは、52手目のビショップe1という手です。
このBe1という手によって、53手目に白番がポーンf6からのチェックメイトを決めることができています。
ボビー・フィッシャー (1972-1975)
チェスの世界チャンピオンで人気の高い人物といえば、間違いなくボビーフィッシャーの名が挙がるでしょう。
アメリカ合衆国歴史上、初となる公式世界チャンピオンになったのがボビーフィッシャーです。
彼は映画の主題になることもあり、
- 1993年には『ボビー・フィッシャーを探して』
- 2014年には『完全なるチェックメイト(Pawn Sacrifice)』
という映画で取り上げられています。
そんな彼の試合を見ていきます。
白番はフィッシャー、黒番はスパスキーです。
白番のフィッシャーは、堅実にプレイしながらもチャンスを見逃さず、中盤戦の段階で優勢になっています。
そして、終盤戦では、黒番のキングが非常に危険な状態になっていますね。
スパスキーが降参したことで試合は終わりましたが、終始フィッシャーが圧倒していた試合だったいえるでしょう。
フィッシャーもスパスキーも悪手がなく、緩手のみで試合を進めているため、この試合がハイレベルであることがうかがえます。
アナトリー・カルポフ (1975-1985)
1975年にボビーフィッシャーへの挑戦権を得たのに、ボビーフィッシャーの棄権によって不戦勝世界チャンピオンになったのがアナトリー・カルポフです。
しかし、その後何度も防衛戦で勝利しているため、実力者であることは間違いありません。
そんな彼の試合を見ていきます。
白番はカルポフ、黒番はスパスキーです。
序盤では大きな差がありませんが、中盤戦から徐々に白番のカルポフが有利な局面になっています。
終盤では、aにパスポーンが生まれ、黒番のスパスキーが非常に厳しい展開となりました。
最終的には、スパスキーが降参したことでこの試合は終了しています。
白番のカルポフは、黒の2つのルークに連携されることを嫌い、30手目で自分のルークと相手のルークを交換を持ちかけています。
このルーク交換が発生した辺りから、スパスキーは逆転の機会を失ったのでしょう。
カルポフの堅実なプレイで、スパスキーが徐々に追い詰められた試合内容だったといえます。
ガルリ・カスパロフ (1985-1993)
ガルリ・カスパロフは、8年間FIDE世界チャンピオンを保持しました。
また、今は亡き団体『プロチェス協会(PCA)』で、7年間世界チャンピオンになっています。
プロチェス協会(PCA)の世界チャンピオンを含めれば、15年間ほど世界チャンピオンだった凄い人物です。
彼は、IBMが開発したチェス専用コンピュータ「ディープ・ブルー」に人類代表として勝負したことでも知られています。
そんな彼の試合を見ていきましょう。
白番がカルポフ、黒番がカスパロフです。
序盤から中盤戦の途中までは、一歩も譲らない互角の展開が続きます。
しかし、中盤戦の途中から、黒番のカスパロフがクイーンサイドを支配し、白番の動きを封じ込めています。
そして、最後はポーンを突き、c1のルークに強い圧力をかけています。
ここで白番のカルポフが降参し、黒番のカスパロフが勝利しました。
このカルポフが降参した局面は、黒番がかなり有利な局面です。
その後、試合が続いていた場合、以下のようにNd3でキングとビショップをフォークされていたでしょう。
このような不利な局面になった理由は、31手目に白番がNb1という手を指してしまったことが原因です。
Nb1と指したことで、b1・c1・d1に駒が並び、縮こまった形になってしまいます。
この形が非常に弱く、黒のポーン突きに耐えることができませんでした。
ウラジーミル・クラムニク (2000-2007)
ウラジーミル・クラムニクは、ロシア出身の世界チャンピオンです。
彼は、2000年から2006年までがクラシカルチャンピオン、2006年から2007年には統一チャンピオンになっています。
この辺りの時期は、PCAとFIDEで揉めていた時期なので、少しややこしいです。
2019年には、子ども向けのチェスと教育に関連するプロジェクトに集中するために引退しました。
そんな彼の試合を見ていきましょう。
白番がクラムニク、黒番がカスパロフです。
この試合は、最終的に黒番のカスパロフが降参したことで終了しています。
しかし、なぜこの局面でカスパロフが降参したのか分かるでしょうか。
黒番のカスパロフが降参した局面
このBd5という手を指されたら、黒番は「ルークでaポーン取れる。ラッキー!」と思うかもしれません。
実際、Bd5によってルークが攻撃されているので、浮いているaポーンを取ることは悪くないでしょう。
しかし、次に白には強い手があります。
その強い手とは、Re6という一手です。
このRe6によって、キングとビショップが同時に攻撃されていますね。
そのため、キングを逃がすことになりますが、ビショップを逃がすことはできません。
つまり、黒番はd5のビショップを取られるほか道がないのです。
この局面になることを気付いた黒番のカスパロフが降参したのですね。
ヴィスワナータン・アーナンド (2007-2013)
ヴィスワナータン・アーナンドは、インド初のグランドマスターであり、5年間チェスの世界チャンピオンを保持しました。
イロレーティング (Elo rating) が2800を超えた数少ないプレイヤーであり、Elo rating2800を超えた初の人物でもあります。
2013年の世界選手権でマグヌス・カールセンに敗れて、王者から陥落しています。
しかし、2022年には、ノルウェーで行われたチェスブリッツで、現世界王者のマグヌスカールセンに勝利しています。
そんな彼の2007年の試合を見ていきましょう。
白番はアーナンド、黒番はクラムニクです。
この試合はステイルメイト、つまり引き分けで終わった一戦です。
このレベルのプレイヤー同士だと、お互いが正確で堅実な手を指し続けた結果、引き分けになることがチェスではよくあります。
ただ、以下の局面だけ見ると、黒番がポーンアップしているので黒番有利に見えます。
しかし、白番はルークを上手く使用し、黒のキングをaポーンに近づけさせないようにプレイできます。
その結果、黒番は勝ちを掴むことができず、最終的にはステイルメイトになったのです。
マグヌス・カールセン (2013-現在)
マグヌス・カールセンは、2023年4月時点で現役の世界チャンピオンです。
イロレーティング (Elo rating) は、歴代最高記録となる2882をマークしました。
彼はエンドゲームを得意とし、驚異的な持久力と集中力を発揮します。
そんな彼の試合を見ていきましょう。
白番はアーナンド、黒番はカールセンです。
序盤から中盤まではお互いにミスのない指し手です。
この試合で一番の見どころは、白番の27手目からになります。
白番の27手目はRf4
この局面を見ると、Rf4というアーナンドの一手はプロモーションを許してしまう手です。
しかし、アーナンドの狙いは、f4にいるルークをRh4と指して、チェックメイトを狙うことです。
Rh4と指すことができれば、後はQh4でチェックメイトにできます。
そのため、Rf4という手はプロモーションを許しますが、悪い手ということでもなく、攻撃的な1手だといえます。
しかし、アーナンドは途中でミスを犯します。
アーナンドのミスはNf1
アーナンドは、プロモーションからのチェックに対して、Nf1という手を指しました。
これは悪手です。
次に黒番がQe1と指せば、Rh4と指されても、プロモーションしたクイーンでh4のルークを取ればいいだけです。
カールセンがQe1と指すと…
Rh4と指されても
プロモーションしたクイーンで取れる。
なぜ、このような局面になったのかというと、アーナンドがNf1と指したからです。
もし、Bf1でプロモーションしたクイーンからのチェックを防いでいれば、試合はもっと長く続いたでしょう。
このようにナイトがg3にいる状態であれば、アーナンドはRh4と指すことができます。
一方で、カールセンは、Rh4と指される前にQd1と指せば、チェックメイトになることもなく、駒損することもありません。
この試合は、ナイトでチェックを止めるか、それともビショップでチェックを止めるかで戦況が大きく変わった試合だったいえるでしょう。
以上、チェスの歴代世界チャンピオン一覧と世界選手権の試合を過去16試合を紹介しました。
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